旅のはじまりは、ライオンとの出会いから

難波橋は、江戸時代に公儀橋となり、重要な交通ルートであったと言われています。当時は蔵屋敷が建ち並び、橋上からの景色が見渡せたとも。この橋のライオン像の由来は橋上から読まれた狂歌に引っかけて「四四」が「獅子」になりライオンになったとされる説もあるようだが、ライオンの強さと発展を願うところにユニークな大阪の心意気が感じられます。

  • 難波橋

現在の橋は、大正4年(1915)に架けられたようで、「阿吽」のライオンを4隅の親柱においている。通称「ライオン橋」として親しまれています。




大阪の経済の中心地として発展

江戸時代、金・銀・銭の取引相場を決める「金相場会所」が移転されてきたことが北浜の金融街としての始まりです。明治以降、「金相場会所」の跡地に「大阪株式取引所」が設置され、周辺には両替商などによって銀行が設立されました。この「大阪株式取引所」は現在の「大阪証券取引所」となり、金融の中心地として現代まで発展してきました。

  • 大阪証券取引所ビル

新ビルとして立て替えられた今も、円形のエントランスホールが当時の面影を残しています。B1F〜1Fには飲食店などもあります。




古来より交通の拠点として栄える

その昔、土佐堀川沿いは諸藩の蔵屋敷や様々な物産を積んだ船で賑わい、大坂商人の活躍の場だったそうです。落語などに登場する船場の旦那衆が舟遊びをする場面などは、この川が舞台なのでしょうか。現在は散策道やテラスが整備されているので散歩をしながら風景が楽しめます。

  • 川の駅「はちけんや」

観光船案内所と情報発信スペースからなる施設です。